偉人に学ぶ『伊奈忠順(いな ただのぶ)』

『伊奈忠順』とはどんな 人?

伊奈 忠順(いな ただのぶ[1]、生年不詳 – 正徳2年2月29日(1712年4月4日))は江戸時代中期の関東郡代。通称は半左衛門。関東郡代・伊奈忠常の次男。兄に忠篤。室は折井正辰の娘。嫡男に忠辰。また、伊奈貞長の次男・忠逵を養子とした。
はじめ稲葉正篤の養子となり、兄・忠篤が死去すると兄の養子として、関東郡代職と武蔵国赤山(現在の埼玉県川口市赤山)4000石の赤山城の遺領を継いだ。伊奈氏の代々の仕事を引き継ぎ、幕府代官として架橋工事、治水工事を主に行った。

※Wikipediaより引用

 知る人ぞ知る人物とは存じておりますが、何をした人なの?って思う方も正直多いかもしれません。ざっくりと申せば、『江戸時代に民を第一に考え行動したお奉行様(土木工事関連のお偉い人)』です。ボクが着目するのは、江戸幕府5代将軍:徳川綱吉公(在位:1680~1709年)、6代将軍:徳川家宣公(在位:1709~1712年)の時代のお話。
※将軍在位期間の月日は省略。

ボクが何に感銘を受けたのか?

人はどうしても私利私欲に流れてしまいがちなものです。またその置かれた環境により、従来の立場や役割を見失ってしまう事もありがちな事です。そんな中、『伊奈忠順』という名のお奉行様は現代社会においてもリスペクトされるべき行動を起こした存在の1人です。

なぜならば、

『無理難題な環境に置かれても屈する事なく仕事をした上で、民を第一に考え活動し生涯を貫いた人』だからです。

悲劇の舞台の中で、権力に背き正しい事をした伝承を残しております。ボク個人は伝承でなく隠ぺいされてしまった真実だと確信に近い位に信じております。

悲劇となった舞台の前に『宝永大噴火』🌋

皆さんは『宝永大噴火』をご存知でしょうか?

宝永大噴火(ほうえいだいふんか)とは、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火である。2017年現在、最も新しい富士山の噴火となっている。噴火は約2週間続き、総噴出量は、約7×108 m3[2]と推定されている。噴火による直接の死者は記録されていないが[3][4]、噴出した溶岩石による火災などで甚大な被害をもたらした。

※Wikipediaより引用

そうです。日本の象徴である『富士山』の大噴火です。直接の死者の記録はないとの事ですが、記録になくともその影響による死者が数多く居ても不思議でない想像を超える大災害・・・だったと思います。富士山を日々見ている山梨在住のボクも他人事ではない身近な話です。噴火が2週間も続くなんてどれほど恐怖か・・・いずれは来るとされている東海沖地震に誘発され、富士山噴火の可能性の話も歴史に学ぶところです。実際その大噴火により、背の丈以上に火山灰が積もった地域が記録としてある様です。とんでもない火山灰です。その地域が、この記事のキーとなる舞台です。

余談となりますが、ボクの在住する山梨県では以前100cmを越す大雪で一時的に孤立した事がありました。雪国出身者でもない限り、山梨では初めて経験する方も(ボクも)多かった出来事です。未経験者にとっては驚愕する程でした。個々での出来る範囲で助け合った結果での雪かきや、その関係する事業者の方々の活躍でほぼ元通りの生活となり、そして大変感謝を感じました。しかし想定外の対策がない環境下での大雪したのでビニールハウス等の被害は甚大でした。重機もない江戸時代での雪はいずれは溶けてくれるものなので、こんな事を申せば当時の方々や雪国の方に笑われてしまうかもしれません。ただ言いたい事は『慣れていない災害は甘く見てはいけない』という事です。

また火山灰はその被害レベルが全く違う・・・。その灰だけでも健康被害が発生する可能性が高く、その量によっては農作物に甚大な被害が出る場合もあると。(状況は異なりますが、近年被害レベルでは東日本大震災の悲劇が思い起こされ悲しくなります。)

話が少しズレたので戻しますが、富士山の『宝永大噴火』によって、土木工事実績もある伊奈忠順さんは『砂除川浚(すなよけかわざらい)奉行災害対策の最高責任者』に任じられ、その復興に尽力する事を幕府に命じられておりました。

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幕府の支援はどうだったのか!?

現代で例えれば、幕府は政府の事になります。政(まつりごと)を決めるのは当時政権を持つ江戸幕府です。ただし当時の幕府は財政難。伊奈忠順さんはそんな限られた中での土木支援金を使って復興に尽力をした人物です。

一番火山灰の被害が大きかったのは駿東郡足柄・御厨地方(現在の静岡県の御殿場周辺)です。しかし災害などで人が住めなくなってしまった『亡所59村』の地域に、幕府は財政難な理由やその状況の為に『その支援を一切行う事ができず』、その地域の村人達は『その地で生きる術を無くしたも同然』だった状況に陥ってしまいました。そんな中で村人達が頼った人物が『伊奈忠順』その人になります。

『伊奈忠順』の決断・・・。

これはあくまでボク個人の想像も含まれますが、忠順さんは『見て見ぬふりができない性格』だったのではないかという見解もある為、『自分の事より人の事』を常々考えていた様な人ではなかったのかと想像できます。ボク自身も共感する事ではありますが、様々な普遍的理由により難しい現実があるのが現代社会です。でもボクの想像する伊奈忠順さんの気持ちは、ボク自身も常々忘れてはいけない『人の心』と胸に刻んでおります。

また少し話がズレてしまいましたが、伊奈忠順さんはそんな性格との事で、村人達を救った伝承↓が残っております。

「忠順は見て見ぬふりができず、独断で駿府紺屋町の幕府の米倉を開き、1万3000石を村々の飢民へ分配した。結果的に目付によってこの無断行為を咎められ、忠順は罷免。後に切腹を命じられ、享年40」とする伝承が駿州御厨地方に残されている。

※Wikipediaより引用

つまり『その地で生きる術を無くしたも同然』だった状況の餓死寸前になった村人達を幕府に『独断』で助けたのです。

語弊があるといけませんが、おそらく『無断ではなく、上に話が通じなかった為に独断の行動』をしたとの見解があります。(現代社会も未だありますね・・・変わらないものかな)

その背景として、実は『御救米(おすくいまい)という困窮民に対する救い策』の1つが江戸時代にはありました。米はとても大事で当時財政難だった幕府の蓄えだったものです。伊奈忠順さんは幕府の判断で支援を一切行う事ができない立場であったのにも関わらず、『御救米』の正しい使い道と自分の信じる(救う為の)行動をお咎め覚悟の上で起こしました。

伝承通りならば当時はおそらく『切腹覚悟』での行動だったと容易に推測されます。そして・・・(;_:)悲しすぎる。またその結果は幕府の理不尽にも程がある。昔はより理不尽過ぎる事は多いのですが、本来正しい事をして間違えてるとのお咎め。それを承知の上での伊奈忠順さんの覚悟、立派すぎます。本来もっと語られて有名でもいいはず!!!伝承とされてるからかな・・・。でも伊奈神社もあるし、いつか行こう!と思う場所の一つです。(熱く語ってますが、未だ行けてないんです(;’∀’))

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『伊奈忠順』の伝承から学ぶボクの見解

伝承での結果では、伊奈忠順さんは幕府に反した行動で村々の飢民を救い、幕府に処罰として切腹となりました。復興開始から4年後に死去されてるとの事。状況は全く違いますが、東日本大震災の復興はかれこれ7年が経過(記事公開時)まだ復興中です。当時もちろん重機もない訳ですから、完全復興中の時(志半ば)に切腹させられてる事(伝承では)になります。

伝承での伊奈忠順さんは間違った事をしましたか?ボクは正しい判断をしたと思います。間違えているのは当時の幕府です。復興する為の理由は人の為。その人達が困っているのを助けて処罰を受ける。そんな事があって良いはずがない!!!幕府は民の声を聞くべきであったはず!!!(結果からして、道理より権力維持・財政維持を優先した事ではないかと個人的に思う)

現代社会はいずれは変わっていくかもしれませんが、そのまま縦社会であれば、上の者の間違った判断や圧力で行動出来ない人たちも数多い。政治の1観点でも未だ権力で正しき方向を間違えてスキャンダルを起こす政治家すらいる。また政治でない別の権力で間違えた行動をする者もいる・・・・。権力に溺れるのは頭が例え賢くても、大事な心が阿呆ではないのかとも感じる・・・。

現代社会においても『権力に溺れ間違った判断を下す者が、上に1人でも居ては世の中は正しくなるはずがない』と歴史から学べます。逆を言えば伊奈忠順さんの様な正しい道理心を持つ人間が必要とされている訳です。

上と言っても最高権力者とは限りません。当時将軍が判断した事とは限りませんので。中堅クラスでも『判断を下す立場の人』が間違えれば同じことです。いずれにしても上の人が仮にも下に対して責任を押し付ける事があるのならば、、、あえて暴言を!それは『モラル欠如思考の愚かな考え』です。そんな人間は上に居る資格はない!この考えは間違ってないと断言します!
仮に上司だったら部下を守るのが道理です。ただ責任を全て上司に押し付ける様な部下(愚かな考え)であれば同様に道理として欠如しております。

学びが足りないのか、同じ様な理不尽が伊奈忠順の生きた時代から300年以上過ぎた現代でも未だある!!!悪いニュースでもほとんどが『氷山の一角に過ぎないと誰もが感じる世の中。』伊奈忠順さんの行動は、本来の道理で考えれば当然の事。しかしボクは『現代に通用する偉人』として考えて記事にしている。それも世の中数々の偉業を成し遂げた偉人が沢山いる中での一番初めの偉人記事にしたかった。その理由はもう判る人には判る事と思います。

 

伊奈忠順は当然の事を死の覚悟までして、『後世に学び』として残してくれた存在と思います。本人は偉人になりたかった訳ではないはず、、、。ただ自分の信じた『道理に従った迄』と記事を書いてて本人が言ってそうな気がして、少し描いてみました!(一応、イラストレーターも名乗っている事もありますが衝動的に)

伊奈忠順・・・その人の伝承から学ぶ意思や考え方は今の『現代社会にも通用する正しい判断』です。

そんな伊奈忠順さんの様な人が、もっと世の中増えて欲しいな~と思いつつ記事にもしております。ボクは偉人と評しますが賛否両論はあるかと思います。少なからず仮にも『無断や独断』であっては必ずしも評価されるものではないからです。それが本来成すべき正しい道であるのならば、評価される正しい道という事。

ボクも間違っている事は間違っていると言う性格です。ただしそれが必ずしも正しい訳では・・・今も記事としてそうかも判りません。その判断は個々の皆さんの考え方なので絶対の否定も出来ません。ただボクが記事にしたという事は、それが正しいと思っているからの他に理由は何もありません。

伊奈忠順さんの忘れてはいけない偉人と評すべき事は、『本当に困っている人を知る。そしてその生声を聞いての覚悟した行動』に尽きます。今一度ボクが現代社会を日々過ごす中で感銘を受け『記事にした理由』に振り返ります。

人はどうしても私利私欲に流れてしまいがちなものです。またその置かれた環境により、従来の立場や役割を見失ってしまう事もありがちな事です。そんな中、『伊奈忠順』という名のお奉行様は現代社会においてもリスペクトされるべき行動を起こした存在の1人です。

ボクが言いたい本質は、記事をお読みいただいた方にはご理解いただけたのではないかと、思いたい気持ちでいっぱいです。

まとめ

いかがだったでしょうか!?少しでも共感していただけたら幸いです。
江戸時代(宝永)には『伊奈忠順』という尊敬すべき伝承を持つお奉行様がおられました。現代社会でも見習うべき心を持った偉人です。

余談になりますが、実は宝永大噴火直前に東海地方で大地震が起きております。その地震後に起きた大噴火に関係する出来事です。こういった歴史に学ぶ事で、万一同じ様な災害時の場合に間違った判断を誰もが起こさない事を切に願うばかりであります。学びは生涯続きます。互いに思いやりのある社会にしていきたいものですね!
ボク自身はまだまだ人間ですが、微力でも何かを通じて社会のお役に立てるよう頑張ります!

※伊奈忠順は大正時代になってその業績を称えられ従五位下に叙せられております。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝です!

 

ABOUT この記事をかいた人

 
 ATERU(中の人) @aterubase

イラストレーターを土台に活動中の異色経歴な独学絵師+α。
これからの飛躍をご期待してくれる方々に感謝してコツコツ邁進中🌈