イップス


こんにちは!ATERU(@aterubase)です。
この記事は『2018年』の過去記事です!


こんにちは!一応、野球部経験者のATERUです(*’ω’*)
今回はこの話題!『イップス』についてです。

みなさんはご存知でしょうか?実はボクもイップス経験があるから記事にしました。(・ω・)

今まさに『イップス』で悩んでいる方、周りにその様な方が居る方の参考になれば幸いです(^-^)

イップス (yips) は、精神的な原因などによりスポーツの動作に支障をきたし、突然自分の思い通りのプレー(動き)や意識が出来なくなる症状のことである。本来はゴルフの分野で用いられ始めた言葉だが、現在ではスポーツ全般で使われるようになっている。(※wikipediaより引用)

ボクはゴルフではないですが、高校野球部の投手時代(1年の時)に『イップス』になりました。
当時はイップスという言葉を耳にした事もなく、周りにはいわゆる『とんでもないノーコン』と勘違いされておりました。(;^ω^)
ボクが『イップス』になったキッカケは野球部の練習中に起きた事が数回重なり発症しました。
当時高校1年生の時はピッチャーに抜擢され、1年生大会というのもあり先発登板経験もありました。考えてみればその時も『イップス』に自分で気付き始めた頃だったかもしれません。ただひどくなったのはその経過のキッカケによるものだったと記憶してます。

『イップス』は本人にも全く訳が分からない状態です( ;∀;)だから辛い!

具体的にボクの発症した練習時のキッカケをお話しします。大きく分けて3つの出来事です。


キッカケ①『部活練習時のキャッチボール』

ボクの後方で(相手ではない)キャッチボールしていた先輩のボールが暴投になりボクの頭に⚾直撃!( ゚Д゚)
今じゃ笑い事になりますが、当時は頭が割れたかと思いました(;’∀’)マジでが頭の中にあった!高校野球は『硬式ボール』なので硬い石みたいなものです。普段は縦列にはキャッチボールしないのですが、その時たまたま・・・練習試合の時だったかもしれないな( ;∀;)


キッカケ②『監督とのトスバッティング』

打撃練習の一つで近い所からボールを投げてもらい、正確にバットの芯でネットに向けて打つ練習ですが、ボールを投げてくれたのがその時は偶然指導者の監督でした。当時は日も暮れてナイターでの練習でクタクタな頃合です。( ゚Д゚)トスもゆっくりではなく、テンポのあるトスで今思えば日ごろよく耐えてたと感心できます。
バットは練習用で通常より重い木製バット!監督の熱指導のおかげで頑張れたのですが、とある一球の時、既にフラフラだったボクのバットは完全に振り遅れてしまいました( ゚Д゚)

ヤバいっ!と思った瞬間、間一髪で監督顔すれすれで打球は通り過ぎ一大事にはならずに済みましたが、監督はブチ切れです(当然です( ゚Д゚))下手すれば大ケガ!当たり所によっては死んでしまう事だって硬式ではありますから((+_+))

ボクは叱られた事はなんともなく監督が無事で良かったの気持ちのみでした。※ただそれから頭に『硬式ボールの怖さ』が無意識に頭によぎる事になる。


キッカケ③『投手時代(1年)』の登板

ボクは最終的には外野手でしたが、1年の初めの頃は投手として練習してました⚾
キッカケの『①自分に対して』と『②相手に対して』硬式ボールの危険『実体験して再認識』していた為、ボクは無意識の内に『内角に投げる事が出来ない投手』状態に次第になっていました。
打者へのデッドボールが無意識に怖かったからだと思います。『しっかりしろっ!』との罵声も何度も浴びましたがしっかりしているつもりなんです。
これが、イップスの症状の始まりです・・・( ;∀;)

ここから辛かった日々・・・( ;∀;)

当時イップスの認知も薄く、ボク自身も知らなかったので、周りに理解されず自分でも訳が分からなくなっておりました。
監督に内角を投げられる練習をと言われ、投げれば投げるほど投げられなくなり(※もしかして今思えば監督は異変に気付いていたのかもしれません。)
ある日の練習試合、ボクにとっては高校生活最後の登板(未だ1年です)となりました。
試されているかの様に内角攻めを指示されました⚾しかし、投げられない。ストライクが入っても外角。内角気味に投げれても全力でない投球。
『デッドボールなんか気にしないでいいから全力で投げてみろぉぉ~!!!それでもピッチャーか!!!』との罵声があり、気を引き締めて全力で投じた1球!

・・・これがボクの高校野球部時代の投手として最後の1球となりました。呆れるほどの大暴投で誰もが唖然でした。

ボクも我が身を疑う思いで手が震えていたのを覚えています( ゚Д゚)

ただ幸いな事に未だ高校1年の時でこれから時間がある。と当時は思いましたが、イップスはそう簡単には治りませんでした( ;∀;)

ついにはキャッチボールさえまともに出来なくなったのです。相手にボールを投げる事がまともに出来ないなんて悔しくてたまりませんでした。

何度キャッチボール相手の仲間にボクの暴投でボールを拾わせたか数え切れません。ごめん( ;∀;)そして当時は何度もありがとう!野球部の仲間みんなに感謝です!

 


そして、そんな個の中でのイップスとの闘いの日々がしばらく続きました。

その日々は自分自身で試行錯誤してどうにか元に戻ろうと必死でした。当然2年でもレギュラーにはなれずに必死です。
ところがある日、練習終わりにマウンドへ立ち、誰もいないネットに向かって思い切り投げてみました。
すると不思議な位にまともに投げれました⚾ボクにとって希望が見えた瞬間でした(*’▽’)
その時に初めて『自分自身の”体”のトラウマ的なもの』からなのか!?とはっきり認識しました。2年生の頃と記憶しています。

ボク自身の見解では、イップスは『精神(心)と体のバランスが崩れてしまっている状態』でした。
つまり思う様にいかないのは、トラウマ的なものに精神(心)は克服しているつもりでも『無意識に体が拒否をしている状態』です。

体感的に判っていても克服は難しかったのですが、ポジションも外野で落ち着き環境も変わり、少しづつですがまともに投げられる事が増えてきました。ただし全力で投げられるのは遠投位で他は球速を抑えなければ暴投の懸念は残り、日々の部活で練習に励み改善を試みてました。

不幸中の幸いか、これもまた不幸か、ある日にボクは肩を痛めて壊してしまいました。腰の椎間板ヘルニアにもなり、ケガを立て続けにしてしまいました。その間は全力で投げる事はできないので暴投も減り、腰のケガで一部練習は別メニュー。また感覚が変わり意識せずとも全力投球が出きない状況で、最終的には腰にコルセットをしたまま3年の夏を迎える状態になり、3年では外野のレギュラーとして出場しました。ある試合では少しだけ目立つプレーもあったりして(*’▽’)印象深い最後の夏でした。まさに青春!

結局、ボクは高校野球部時代のほぼ全てをイップスと二人三脚状態でした(;’∀’)

そして、卒業し社会人に・・・。野球は好きだし野球部だったから草野球とかソフトボールに誘われる訳です。
ボクには暴投が常々頭にあったのですが、軟式だからか無意識に体が動かなくなる事がなくなったんです。
多分、硬式は克服出来た訳ではないかもしれません。ただ野球が普通に出来る。それが何より嬉しかったです。

まとめ

あれから約20年が経ち、今こうして当時を思い出しながら記事にしている事は感慨深くも思えます。
ボクの場合は、『人を大きく傷つけてしまう恐れ』イップスになったキッカケでした。それがない事が確認できていれば今は症状が出ておりません。
もしタラレバがあって、あの時のキッカケが無かったらイップスも知らないままでした。もう少しだけは活躍出来てたかな(笑)
変わらないか・・・(;^ω^)でも苦しみを判る事も共有できる人生の財産です。


出来たものが突然出来なくなるのが『イップス』で、当人はキッカケが判っていても、何故そうなったのか克服方法も判らないのがイップスです。イップスになったらまず認める事です。否定していたら改善が遅くなってしまいます。
特にスポーツ選手にとっては『イップスで失う時間はとても苦しい時間』でもあります。しかし『改善できるキッカケ』もそれぞれ違う事ですが、きっとすべてにあるとボクは信じておりますので納得出来るまでは諦めないで欲しいと切に願います。(^-^) あとは身近に居る方の理解もとっても大事です。(^-^)

ボク自身の経験で『イップス』がどの様なものか少しでも知っていただけたら幸いです。

長文でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました(*’ω’*)感謝です☆

 

ABOUT この記事をかいた人

 
 ATERU(中の人) @aterubase

イラストレーターを土台に活動中の異色経歴な独学絵師+α。
これからの飛躍をご期待してくれる方々に感謝してコツコツ邁進中🌈